So-net無料ブログ作成
検索選択
前の10件 | -

めげないぞ [雑感]

植物を育てていると、3月から4月のはじめは喜びにあふれているが、5月頃になってくるとがっかりすることも増え、6月にはあきらめの境地に近くなる。

今年は4月、5月と私としてはかなりきりきり舞いだったこともあり、ふと気づくとベランダ鉢植えは虫と病気の楽園になっている。

なんどか水切れを起こしてしまった鉢もあり、その他、はっきりした原因はよくわからないが上手く行っていない鉢も多く、申し訳無く思いつつ、できればなんとか持ちこたえて欲しいと甘えた気持ちで眺めている。

収穫を楽しみに、見た目の悪さを我慢して育ててきたエシャロットは、地上部は立派に育ったのに、肝心の球根はぜんぜん育たなかった。苗にそれなりに投資したのに残念だ。やはり野菜を食べられるレベルに育てるのは、粗雑な私にはハードルが高い。以前、ズッキーニを育てようと頑張っていた時期もあったが、ここ数年でズッキーニが比較的安価にたくさん買えるようになったので、無理して育てる意欲も失われた。エシャロットも早く安価に買えるようになってほしい。

3年目に入ったレモンは、去年、ちいさな実を1つ付けたが、冬に葉っぱを落としたまま新芽が出ていない。死んでしまったのだろうか…

死んでしまったといえば、ラベンダーはやはり難しい。一昨年育てていた分は、去年の夏を上手く越させられず、秋に耐暑性が高いという長崎ラベンダーを2鉢買ったが、植え付け段階で失敗したらしく冬前に枯れてしまった。わざわざラベンダー用の土も準備したのだが…


これほど失敗が多いのは私の粗雑さが大きいとは思うが、ごく月並みながら、何かを育てるのは本当に難しいとも思い知らされる。趣味で育てている植物などは、失敗しても、はっきりいって大発生した虫が気持ち悪いのと、ちくりと胸が痛む程度で済むが、子育てや学生の指導はそうはいかない。しかし、植物よりは気をつけるとは言っても、やはり最後は「なんとかなってほしい」と眺めるしかないところもあり、めげずに頑張るしかない。


そう考えると、鉢植えに比べて地植えはずいぶんうまくいきやすいことを思う。裏の小さなスペースに植えた植物たちは、日当たりもあまりよくなく、完全に放置しているにもかかわらず、虫食いなどはあってもみな元気に育って、陣地と日光をめぐって争いを繰り広げている。植物と人を完全にパラレルに考えることは出来ないけれど、人の場合、鉢植えではなく地植えにするというのはなににあたるのだろうか。鉢植えにせざるを得ない時には、どうすればよいのだろうか。

IMG_3944.jpeg

路面電車とウサギ [雑感]

先日、相棒の恩師の一人が1週間ほど東京に来た。
相棒はまる1日、2人きりで過ごす機会を得て、更に学生たちとのセミナー&懇親会にも来てもらえたようで、それだけで多くのものを得たようだったが、常々、ロールモデルとして彼の口に上る方であり、考えてみると、彼の師匠のうち、唯一私も直接会ったことのある方なので、私の強めの希望もあって、更に週末に家までお越しいただくことになった。

相棒は午前中から東京見物にご案内。その間、私はせっせと掃除に励む。客人が来ると家がきれいになるのはありがたいが、ここのところサボっていたツケが大きく、なかなかピカピカにはならない…
お客さん大好きなチビは、何度も「まだ来ないねー」と言いながら、いい子におとなしく遊んだりテレビを見たり、窓拭きを手伝ってみたり。

夕方になってようやく掃除も終わり、お客様も到着。
チビは初対面なのに、会った途端に抱きついてご挨拶。挨拶ってそういうものだと思っているらしい。

ヨーロッパの方らしく、まずは私にお花をいただく。大学1年のフランス語の授業で、人の家に呼ばれた時には花を持っていくと習ったことが頭のどこかをよぎった。先生のほうは、日本の花屋の包装が幾重にもなってることにやや呆れたようだった。

お土産はそれだけでなかった。まずチビに百貨店の包装紙にきれいに包まれたプレゼントをいただく。開けるとフランクフルトの路面電車の模型が出てきた。チビが大喜びで早速遊んでいると、もう一つプレゼントといって、握った両手をチビに見せる。チビが最初に選んだ手はハズレだったが、もう一つの手の中からは小さなウサギのフィギュアが出てきた。

それから今滞在されてる京都を出る時に駅で買ったという和菓子が二折と、相棒には数学的な図形を表現したオブジェ。

そして床に座り込んで、ひとしきりチビと遊んでくださった。チビはさらに喜んで、あれこれおもちゃを出してきてはお見せする。

食事をどうするかは色々考えたが、和食のおもてなしは難しいし、中華はあまりお好きではないということで、結局、定番のローストポーク。それに、相棒と話している時に、日本にいるのは楽しいが、今年はシュパーゲルが食べられなかったことと、リースリンクが飲めないのが残念だとおっしゃっていたということだったので、うちでは普段は食べないホワイトアスパラガスを用意して、よく飲んでいるリースリンクをお出しする。
シュパーゲルは本場のものを食べつけた方には全然物足りなかったのではないかと思うが、たくさん召し上がってくださった。

私のたわいない質問にも丁寧に答えてくださり、同じくらい頓珍漢なチビの質問にも丁寧に答えてくださり、とても楽しい夕食となった。


家に到着する前に、わざわざ百貨店に寄ってチビと私へのお土産を揃えてくださったことにも驚いたし、別れ際には、次はもっと時間が空く前に会いましょうとおっしゃってくださった。

礼儀と真心と思いやりとのバランスに、ああやはり素晴らしい方だな、できたらこうなりたいなと思わされた。私だったら、菓子折り一つあればまあいいかな、と思ってしまうだろう。もっと想像力を持って、もっと思いやりを持たなければならない。そしてもっと謙虚に学ばなければならない。自分の番になった時に、覚えてられるか、うまくできるかははなはだ自信がないけれど。


途中までお見送りをしたチビは、家に帰ってくると、「路面電車忘れて行っちゃったね」。頂いたということが、今一つわかってなかったのだろうか。それから3日ほどたつが、よほど嬉しかったらしく、路面電車とウサギを大事に持って家の中を移動したりしている。

DSC00370.jpeg

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

よすが [雑感]

長いこと使っていなかった時計を電池交換に出した。

ずっとずっと昔、恋人が贈ってくれた時計。
電池切れで動かなくなって、メッキも剥げて、なにより、留め具が緩くなって外れやすくなって、なくすのが怖くて、使わずにしまってあった。

電池を替えたら、針はまた動き始めた。

DSC00350.jpeg


***

この間、弁当を持って仕事に行った。
いつもの箸箱。保育園の時から使っている箸箱。

箱と箸のそれぞれに、父がカタカナで名字を彫り込んでくれた。


父の肉体は消えたのに、父が書いた文字はここに残っている
物は時に長く残り、生きていた人々の痕跡を伝える

そういったことに魅了されて、考古学を学び、歴史学を学び、文学を学んできたけれど、手にした箸に刻まれた文字の不思議さは褪せない

DSC00352.jpeg


***

この箸は過去の父の肉体、過去に父が私に与えた愛を伝えるよすが
この時計は過去の私の肉体、過去に恋人と交わした愛を伝えるよすが

父の肉体は消えたのに、父が刻んだ文字はここにある
つまりは、過去の私は、過去の愛は消えたのに、時計は残っているということ?



多様で複雑な世の事象を単純に理解しようとすると混乱する

愛は消えたのに時計が残ることもあるだろう
時計は消えたのに愛が残ることもあるだろう


それとも一度与えた愛は永遠に消えないのだろうか
肉体も物も消えても愛は永遠なのだろうか

そう考えるのは浪漫的だが、
現実は、愛を感じる肉体が滅びれば愛も滅びるのだろう

翻せば、私が父の愛を感じ続ける限り父の愛は滅びない


***

よすがはよすがに過ぎない
そこに何かを寄せるのは私の心

よすが − 寄す処 − 縁


***

時計屋はオーバホールを勧めた。

大切な時計だけど、もともと高価なものではないし、と思ってきた。
けれども、今は、ほんとうに大切なもので、もし直す手段があるのなら、少々のメンテナンスの費用をけちることなどバカバカしいことなのだと思える。

無くさないように気をつけて時々は使って、今度、止まったらオーバホールに出してみよう。


直しても、大事にしても、いつかは壊れ、あるいはなくなってしまうだろう
でも、その時を延ばすことはできるかもしれないし、少なくともその時までをより幸せに過ごすことができるだろう

そこに私の心を寄せよう

坪庭もどき [雑感]

今住んでいるところは一昨年の夏に越してきた。

そもそもは3年前の黄金週間。定職についたし、そろそろ借家暮らしから脱出しようと相棒が言い出し、不動産めぐりを始めたその初日に、同行願った母と相棒が意気投合して、衝動買いのように小さな土地を買った。

そこは御多分にもれず、やや大きめの土地を3分割した物件で、我々が買った時には、形も面積もほぼ同じ2軒分が売りに出ていたのだが、どちらを希望するかはすぐに決まって、結果としてそちらを買うことが出来た。希望した理由はいくつかあったが、その1つが家の裏手に1畳ほど付き出した区画があって、ほんの少し余裕のある感じになりそうなことだった。

そして、ああでもないこうでもないと頭を悩ませ、方々(特に母)の援助を受けながら、その土地に小さな家を建てた。かなり奮発し、援助も受けて建てたけれども、そうはいっても限りある予算。外構は正面のコンクリート等、最低限のことのみを工務店にお願いして、あとは自分たちですることにした。


外構なんていうとえらそうだけど、実際には建物の周囲30〜150センチをどうするかという話。最初に家の周囲に防草シートを廻らせ、その上に砂利を敷いた。砂利は重くて通販では非常に割高だとわかり、前宅の近くにあるホームセンターで玉砂利を大量に買い込み、車に積んで運んできてえっちらおっちら敷いた。地面を水平にする作業をさぼったので起伏があり、そのせいで隣家の敷地に砂利が流れ込んでいるところもあるが、お隣さんが寛大なことに甘えて、当座、そのままとしている。

あと残ったのは、家の裏の1畳ほどの地面。
何か植栽をすることは最初から決めていたので、とりあえずスコップを買って掘り返すことにした。そのままでは雑草も生えないんじゃないかというくらいがちがちの地面を掘り返すと、ガラがごろごろ出てくる。瓦や石はまあいいのだが、1メートル以上ある塩ビパイプが出てきたのにはちょっと驚いた(粗大ゴミに出した)。
そうこうしているうちに寒くなってきたので、その年は途中のまま放置。翌春も少し掘り返してはみたが、仕事(というか論文)が忙しく、あっという間に暑くて虫の多い季節になって、更に1年放置。

ようやく今年の春になって、一念発起。
園芸を長年の趣味とする母の助言を仰ぎながら、小さな花壇を作ることにして、モルタルを使わなくてもレンガとプラスチックの板で花壇が組めるという商品と、日陰向きの植物をあれこれと通販で購入し、黄金週間に花壇を作った。

DSC00337.jpg

「らくらくレンガ」という商品名と売り文句に違わず、レンガ積みはわりと簡単で、心配していたほど隙間から土が漏ることもない。植物も、セット商品を買った都合上、ヤブランが多めになったのはちょっと趣味と違うが、それなりに種類も揃えて、我ながらけっこういい感じになった。

この近所は猫がとても多いので、その点を一番心配していたが、バークマルチをたっぷり敷いたおかげか、 1月経過してみて、やたらとハエは多いものの、特に掘り返されたり、糞をされたりはしていないようで、とりあえずは一安心。フェンスを挟んだ花壇の向こう側が前から猫の子育て場所になっていることももしかすると良かったのかもしれない。

花壇の前は、地中から掘り出した瓦を並べて、固まる土を敷いてみた。恐らくは前の建物の瓦なのだろう。前の建物にどんな歴史があったか一つも知らないけれども、ほんの少しでも、過去とのつながりが生まれるのはうれしい。
DSC00339.jpg

花壇へのアクセスは非常に悪く(幅20センチくらいのところをすり抜ける必要あり)、気が向いた時に気軽に行くという感じではないが、直上の2階部分には小さなバルコニーがあるので、そこから見下ろすことができる。小さな小さな庭だけど、そんなのでもあるとけっこううれしいものだ。

IMG_2150.jpeg


ただ、夜はただの闇。ソーラー電池のついたLEDライトを設置してみたが、商品がダメなのか、日中の光量が足りないのか、まったく用を成していない。ここのところはもう少し改善したい。


ちなみに、連休中にはこの他に、表のベランダのウッドデッキと手すりの塗り直し(部分)と無垢床のワックスがけをした。メンテナンスは面倒といえば面倒だが、DIYはきらいではないし、持ち家なんだなあという実感も湧いてなかなかよかった(本当はレンジフードの掃除もしないといけないのだが……)
そういえば、ワックスがけをした直後に、鍋の焦げを洗っていた相棒が重曹水を床にこぼし、それに気づかずに放置した結果、床が黒く変色するという事件もあった。かなり焦ったが、酸である程度戻るとわかり、あまり目立たないまでには修復できた。良かったよかった。

暑かったけどスープを作った [雑感]

昨日はとても暑かったけど、主に扁桃腺炎やらなにやらでへばっているアイボウのためにチキンスープを作ることにした。アイボウだけでなく、チビも先週は40度近い高熱が2日半続き、私もどうも喉の調子がおかしい。

そういう時に鳥鍋とかチキンスープとか、あんまり医学的根拠はないかもしれないけど、なんとなく効果がありそうな気もする(ただの手抜き料理という説もあるが…)。


IMG_2162.jpg

虫に食べられるために育てているような状況のハーブたちだが、ブーケガルニはネギ以外なんとか自家調達。ローリエは去年の秋、裏手のお宅から窓越しにいきなりいただいたもの(うちのミニベランダとお隣の窓の間は1メートルほどしかない)。
といっても、冷蔵庫にはチキンソテーにしようと思って買ったもも肉と手羽中しかなかったので、ちょっと薄味になってしまった。やはりしっかり骨付きの肉で作ったほうがよい。


残念ながら朝起きて、すっきり治ってるという感じはまったくなく、アイボウも体を引きずるようにして起きだしていたが、まあよしとしよう…(いいのかな…)





チキンスープといえば、7年前のドイツに移った日、4ヶ月ほど先行して渡っていたアイボウが作ってくれたのだった。7月の終わりの明るい夕方、アイボウが空港まで迎えに来てくれて、Sバーンに乗って住まいまで連れて行ってくれて、緑色のドアを開けると、部屋の中に甘いスープの匂いが満ちていた。窓のたくさんある眺めのいい部屋で、キッチンは狭かったけど、とても居心地がよくて、ほんとうに楽しかった。


ドイツではREWEが行きつけのスーパーで、とても安い骨付きももをよく買った。もも肉だけでなくて、ポスドク1人分の稼ぎで2人暮らし、旅行もオペラ鑑賞もたくさんしてお金はなかったから、REWEのブランドJa!の安い製品には全般的に助けられた。
でも、日本に帰った後、ヨーロッパの労働環境に関するドキュメンタリーをいくつか見て、価格の安い製品の裏には不当に安い労働力があるという現実から目を背けるわけにはいかないということも、遅ればせながら知った。日本にも同じ構造はあるけれど、EU圏が拡大し、更に大量の移民を受け入れているヨーロッパの状況ははるかに苛烈で、ほとんどEUを破綻させかけているように見受けられる。そうはいっても日本だって東アジアだって、状況はかなり危機的だ。

いま自分が何ができるかを考えると、ほとんど絶望的にも思われるが、もう少しがんばらなければ。目の前のチビたちを民主主義社会の市民として育てること、ほかの市民と連帯すること、なるべくなるべく正しい買い物をすること、折り合えそうもないと感じても相手を理解しようと務めること。きっとできることはまだまだある。



スープを作ったことを書こうとだけ思ったのに、結局、支離滅裂になってしまったな。

noch einmal [雑感]

最後にブログの記事を書いてから2年がたとうとしている。その前の記事は、更にその2年前だ。

その間なにがあったかといえば、ただただ日常をこなしていたような気もすれば、家を建てて引っ越し、これ以上延ばせないまで延ばした博士論文を青息吐息で書いて出したのだから、それなりに大きな出来事がいくつかあったような気もする。子供もずいぶん大きくなった。


ブログを書かなくなった訳を考えてみると、ただ単に暇がなくなったということもあったし、twitterにシフトしていったということもあったし(そんなにたくさんつぶやくわけではないけれども)、世間のブログ熱が冷めて、実質上、RSSリーダーも使えなくなって、人のブログも見なくなったということもある(それもそんなに読んでいたわけではないけれども)。
それに、自分の個人的な出来事を世界に向かって公開することの無意味さ、危険、恥ずかしさを考えなかったわけでもない。特に、子供ができて、子供のことが私生活の大きな部分を占めるようになると、それをどのくらい書くかというのはけっこう重い問題だ。加えて、社会的責任が増すにつれ、好きに書けることは減っていく。


でも、ふとしたきっかけで自分やアイボウが綴ってきたブログを読み返してみると、ブログもなかなか捨てたもんじゃないな、と思う。忘れかけていた出来事や気持ちが、時に鮮やかに、時にかすかによみがえる。

日々の出来事や個人的な所感はプライベートな日記に書けばいいと思わないわけではない。でも、余程意志の強い人でなければ、自分だけの日記を書き続けることはなかなか出来ない。ふつうは、どこかに読者がいると思うから、書く(中世の貴族だって、ほとんどの場合は、子孫に読ませるために日記を書いている)。
それに、読者がいると思うから、ある程度、論理を整理し、文章を整える。その過程で出来事や考えが整理され、自分が覚えていたい形に整えられていく。自分が若いころ自分だけのために書いた日記など、意味不明な感情のほとばしりが書きなぐってあるだけで、ただただ情けなく、恥ずかしい。

もちろん、主な想定読者は、同じ家の中に住んでいたり、普段、頻繁にやりとりしている親族や知人なわけだから、ほんとうは定期的に手紙を書いたり、SNSの中なり限定公開なりでブログを書けばいいのかもしれない。でも、それもなんだかなかなか難しい。SNSのやりとりは正直しんどいし、アイボウと交換日記をするっていうのも現実的じゃないし、母や兄にニュースレターや限定公開のブログを読んでね、と連絡するのも違和感がある(でもその意味では、保育園に毎日持たせる連絡帳は、とても貴重な記録だ)。

そんなわけで全世界に恥をさらすリスクと天秤にかけても、ブログを書くって、悪くないかもなと思ったり、やっぱり電気の無駄遣いかなと思ったり、大きく揺れつつ、もう一度、しばらくブログを書いてみようかなと考えている。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

さようならPostPet [おわかれ]

PostPetがついに完全になくなると。ブログパーツもなくなるのか…

最近はぜんぜん使ってなかったけれど、一時期はかなりディープに楽しんでいたし、やっぱり寂しいな…


もやし [雑感]

お昼に昨晩の残りの酢の効いたもやしのナムルを食べていて、また父を思い出した。


去年の8月末から9月前半、連れ合いの出張中に、だいぶお腹の大きくなっていた私は、数日、義姉のところに世話になったあと、実家に居候していた。母も海外出張でいなくなり、父と二人暮しの生活は、気楽でもあったが、いらいらすることも多く、私は決して父に優しくなかった。

かなり前に私が家を出てから、両親のところでは父が料理をすることも多く、特に父が退職をしてからはネットでレシピを見つけてきてはちょっと凝った料理をするのがひとつの生活の楽しみになっていた。私が居候している間も、今思えば体調はかなり悪化していたはずなのに、身重の娘を気遣って、毎晩のように料理をしてくれた。

父はその日もネットでレシピをみつけてきて、もやしのレモンサラダというのをつくるのだ、と言い出した。ところが、もう夜もかなり遅くなっているのに、レシピ初盤の「できればひげ根をとる」から始めたものだから、私はすっかり機嫌を悪くしてしまった。ひげ根をとるというのは、いろんなレシピに「食感も味も全然違うのでぜひやりましょう」と書いてあるが、繊細さのかける私にはちっとも「全然違う」が実感できない。それに、普通にやるとものすごく時間のかかる作業である。韓国ドラマを見てると、主婦が家事をしているシーンとしてよくもやしのひげ根とりが出てくるくらいだ。そんなわけで、遅くなってひげ根を取り始めた父に、空腹の私はすっかり腹を立ててしまって、ずいぶん冷たい態度をとってしまった。

完成したもやしのレモンサラダは、量はちょっとしかなかったけど、さわやかな味を父は気に入ったようで、次の日もまたもやしサラダを作り出した。私は呆れて見ていたけれども、思い返すと、ぷんぷん腹を立てていないで、ひげ根の一つでもとってあげればよかったと思う。



総じてこの居候の時のことには、後悔が多い。
あれが最後だと知っていたら、もっと一緒にテレビを見て、父さんの批評を聞いてあげるんだった。音楽番組を見ながら朗々と歌うのに合わせて一緒に歌ってあげるんだった。父さんが読んでいる文書についてもっと話を聞いて、一緒に読むんだった。ブログの作り方をもっと丁寧に教えてあげるんだった。動画の作り方をもっと優しく教えてあげるんだった。一緒に買物に行っておいしいものをたくさん作ってあげるんだった。いびきがひどいからと他の部屋に逃げるんじゃなくて、一緒の部屋で寝てあげるんだった。買い物に出かけたのに、ずいぶんたって手ぶらで帰ってきた時に、「途中で気持ち悪くなったから」という理由をもっと真剣に思いやってあげるんだった。
なのに私は、反抗期の中学生みたいにパソコンや携帯に向かってばかりで、時には父への愚痴を延々と連れ合いに送信していたりすらした。




きのうのもやしはもちろんひげ根もなんもついてたけど、今度作るときはひげ根をとってみようか。ね、父さん。

つながる--セルのシベリウス2番 [音楽]

1970年、大阪万博の年には多くの有名音楽家が来日した。中でもジョージ・セル率いるクリーブランド管弦楽団の東京公演でのシベリウス2番は名演の誉れ高く、CDが出たときには早速購入して涙し、その場に居合わせることのできなかった我が身の不運を嘆いたりもした。
今でも大好きな録音の一つで、スピーカーを通してでも触れられることに感謝している。


ライヴ・イン・東京 1970

ライヴ・イン・東京 1970

  • アーティスト: セル(ジョージ),ウェーバー,モーツァルト,シベリウス,ベルリオーズ,クリーヴランド管弦楽団
  • 出版社/メーカー: ソニーレコード
  • 発売日: 2001/01/11
  • メディア: CD

 ~ ~ ~

父が亡くなってから、彼が書き遺したものを少しずつ読んでいる。書き散らかした文章もいろいろあるのだけれども、こどもとしては、やはり一番個人的な日記とメールが、恐怖もありつつも、関心があって、まずはそのへんを読んでいる。

その1976年10月31日の日記に、こう書いてあった。

帰宅後、テレビにて Colin Davisが Boston Symphony Orchestraを指揮してシベリウスが第二交響曲を演ずるを見る。……この夜の演奏会大いに興趣を感ず。蓋しこの曲特に思い出づることあればなり。かつて1970年、われ東京に帰りてありし年、George Sell Cleaveland Orchestraを率い、Pierre Boulez を客演指揮者に伴ひて日本に来る。われ Boulez が指揮せる演奏会を聴くことを得たれど、その後、京都に在りし友人夫妻と共に日本海を経て九州に至るドライブ旅行の約あれば、Sellが演奏会を聴くことあたはざりき。しかるに、鳥取辺りの海辺を走る車中にてカー・ラジオを点ずれば、Sellが奏でるシベリウス第二交響曲の響きわたれり。これわが忘れえざる最大の音楽の喜びの瞬間の一なりき。
ブーレーズ指揮の演奏会で、演奏が終わって一番にセルが立ち上がって拍手したこととかは直接聞いていたけれども、このカーラジオの話は、聞いたことがなかったか、忘れてしまっていた。

ラジオ、録音、日記。いくつものメディアを媒介して、父さんと私がつながって、この演奏はまた一段と私にとって大切なものになった。

Figlio dormi [音楽]

Giovanni Girolamo Kapsperger (Johann Hieronymus Kapsberger)
   
1
Figlio dormi dormi figlio
China’l ciglio
Caro figlio
Ricciutello della mãma
Del mio petto dolce fiamma
Mio bambino piccinino
Fà la nanna fà la ninna figlio
Ninna la nanna ninna nanna
Amoroso mio tesoro
Ninna la nanna ninna nanna
Dolce e vago ricciutello
Vezzosetto vago e bello.
1
眠れぼうや ぼうや眠れ
まつげを伏せて
かわいいぼうや
母さんの巻き毛ちゃん
わが胸の甘い炎よ
私のちっちゃな赤ちゃん
ねんねしな ねんねしな ぼうや
ねんねんころりんねんころりん
愛しい私の宝物
ねんねんころりんねんころりん
愛しいみやびな巻き毛ちゃん
みやびなきれいなかわいこちゃん
2
Chiama’l sonno frena il pianto
Nel mio canto
Dolce figlio
Lagrimuccie deh cessate
E nel sonno vi frenate.
Mio bambino piccinino
Fà la nanna fà la ninna figlio
Ninna la nanna ninna nanna
Lagrimuccie perle elette
Ninna la nanna ninna nanna
Su le guancie alabastrine
Margarite peregrine.
2
眠りよおいで 涙よおさまれ
私の歌で
愛しいぼうや
涙ちゃん どうかとまって
眠りの中でおさまって
私のちっちゃな赤ちゃん
ねんねしな ねんねしな ぼうや
ねんねんころりんねんころりん
選り抜きの真珠の涙ちゃん
ねんねんころりんねんころりん
アラバスターのほっぺの上の
とびきりの真珠よ
3
Luci vaghe luci belle
Vive stelle
Del mio figlio
Non più crude al sonno omài
Serenate i vostri rai
Mio bambino piccinino
Fà la nanna fà la ninna figlio
Ninna la nanna ninna nanna
Pupilluccie lusinghiere
Ninna la nanna ninna nanna
Pupilluccie ritrosette
Ritrosuccie pupillette.
3
みやびな眼(光)よ きれいな眼(光)よ
輝く星よ
私のぼうやの
もう眠りに抵抗するのはやめて
静まって 君のまなざし(光線)よ
私のちっちゃな赤ちゃん
ねんねしな ねんねしな ぼうや
ねんねんころりんねんころりん
ごきげんのひとみちゃん
ねんねんころりんねんころりん
かたくななひとみちゃん
大切ながんこちゃん
4
Sguardi amati dolci sguardi
Vivi dardi
Del mio figlio
Voi col pianto mi piagate
E nel sonno mi beate
Mio bambino piccinino
Fà la nanna fà la ninna figlio
Ninna la nanna ninna nanna
Tirannucci miei bramati
Ninna la nanna ninna nanna
Deh chiudetevi innocenti
Tirannucci miei cocenti.
4
愛するまなざしよ 愛しいまなざしよ
き生きとしたまなざし(矢)よ
私のぼうやの
君たちは涙で私を傷つけ
眠りの中で私を喜ばせるの
私のちっちゃな赤ちゃん
ねんねしな ねんねしな ぼうや
ねんねんころりんねんころりん
私のほしがりの暴君ちゃん
ねんねんころりんねんころりん
ああ 閉じてちょうだい いい子
私の焼けつくような暴君ちゃん
5
Ecco il sonno che l’assale.
Spiega l’ale
Su’l mio figlio
Dolce sonno à te si spetta
Tu lo stringi tu l’alletta
Mio bambino piccinino
Fà la nanna fà la ninna figlio
Ninna la nanna ninna nanna
Lusingatelo ò miei canti
Ninna la nanna ninna nanna
Mio dolcissimo ristoro
Mio ricchissimo tesoro.
5
さあ ぼうやを襲う眠りだよ
翼を広げて
私のぼうやの上に
甘い眠りよ お前を待っているの
彼を絡めとって 彼を誘って
私のちっちゃな赤ちゃん
ねんねしな ねんねしな ぼうや
ねんねんころりんねんころりん
彼を喜ばせて ああ私の歌よ
ねんねんころりんねんころりん
私のもっとも甘い安らぎよ
私のもっとも価値のある宝物よ

前の10件 | -
ブログを作る(無料) powered by So-netブログ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。