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もやし [雑感]
お昼に昨晩の残りの酢の効いたもやしのナムルを食べていて、また父を思い出した。
去年の8月末から9月前半、連れ合いの出張中に、だいぶお腹の大きくなっていた私は、数日、義姉のところに世話になったあと、実家に居候していた。母も海外出張でいなくなり、父と二人暮しの生活は、気楽でもあったが、いらいらすることも多く、私は決して父に優しくなかった。
かなり前に私が家を出てから、両親のところでは父が料理をすることも多く、特に父が退職をしてからはネットでレシピを見つけてきてはちょっと凝った料理をするのがひとつの生活の楽しみになっていた。私が居候している間も、今思えば体調はかなり悪化していたはずなのに、身重の娘を気遣って、毎晩のように料理をしてくれた。
父はその日もネットでレシピをみつけてきて、もやしのレモンサラダというのをつくるのだ、と言い出した。ところが、もう夜もかなり遅くなっているのに、レシピ初盤の「できればひげ根をとる」から始めたものだから、私はすっかり機嫌を悪くしてしまった。ひげ根をとるというのは、いろんなレシピに「食感も味も全然違うのでぜひやりましょう」と書いてあるが、繊細さのかける私にはちっとも「全然違う」が実感できない。それに、普通にやるとものすごく時間のかかる作業である。韓国のドラマを見てると、主婦が家事をしているシーンとしてよくもやしのひげ根とりが出てくるくらいだ。そんなわけで、遅くなってひげ根を取り始めた父に、空腹の私はすっかり腹を立ててしまって、ずいぶん冷たい態度をとってしまった。
完成したもやしのレモンサラダは、量はちょっとしかなかったけど、さわやかな味を父は気に入ったようで、次の日もまたもやしサラダを作り出した。私は呆れて見ていたけれども、思い返すと、ぷんぷん腹を立てていないで、ひげ根の一つでもとってあげればよかったと思う。
総じてこの居候の時のことには、後悔が多い。
あれが最後だと知っていたら、もっと一緒にテレビを見て、父さんの批評を聞いてあげるんだった。音楽番組を見ながら朗々と歌うのに合わせて一緒に歌ってあげるんだった。父さんが読んでいる文書についてもっと話を聞いて、一緒に読むんだった。ブログの作り方をもっと丁寧に教えてあげるんだった。動画の作り方をもっと優しく教えてあげるんだった。一緒に買物に行っておいしいものをたくさん作ってあげるんだった。いびきがひどいからと他の部屋に逃げるんじゃなくて、一緒の部屋で寝てあげるんだった。買い物に出かけたのに、ずいぶんたって手ぶらで帰ってきた時に、「途中で気持ち悪くなったから」という理由をもっと真剣に思いやってあげるんだった。
なのに私は、反抗期の中学生みたいにパソコンや携帯に向かってばかりで、時には父への愚痴を延々と連れ合いに送信していたりすらした。
きのうのもやしはもちろんひげ根もなんもついてたけど、今度作るときはひげ根をとってみようか。ね、父さん。
つながる--セルのシベリウス2番 [音楽]
1970年、大阪万博の年には多くの有名音楽家が来日した。中でもジョージ・セル率いるクリーブランド管弦楽団の東京公演でのシベリウス2番は名演の誉れ高く、CDが出たときには早速購入して涙し、その場に居合わせることのできなかった我が身の不運を嘆いたりもした。
今でも大好きな録音の一つで、スピーカーを通してでも触れられることに感謝している。
~ ~ ~
父が亡くなってから、彼が書き遺したものを少しずつ読んでいる。書き散らかした文章もいろいろあるのだけれども、こどもとしては、やはり一番個人的な日記とメールが、恐怖もありつつも、関心があって、まずはそのへんを読んでいる。
その1976年10月31日の日記に、こう書いてあった。
帰宅後、テレビにて Colin Davisが Boston Symphony Orchestraを指揮してシベリウスが第二交響曲を演ずるを見る。……この夜の演奏会大いに興趣を感ず。蓋しこの曲特に思い出づることあればなり。かつて1970年、われ東京に帰りてありし年、George Sell Cleaveland Orchestraを率い、Pierre Boulez を客演指揮者に伴ひて日本に来る。われ Boulez が指揮せる演奏会を聴くことを得たれど、その後、京都に在りし友人夫妻と共に日本海を経て九州に至るドライブ旅行の約あれば、Sellが演奏会を聴くことあたはざりき。しかるに、鳥取辺りの海辺を走る車中にてカー・ラジオを点ずれば、Sellが奏でるシベリウス第二交響曲の響きわたれり。これわが忘れえざる最大の音楽の喜びの瞬間の一なりき。ブーレーズ指揮の演奏会で、演奏が終わって一番にセルが立ち上がって拍手したこととかは直接聞いていたけれども、このカーラジオの話は、聞いたことがなかったか、忘れてしまっていた。
ラジオ、録音、日記。いくつものメディアを媒介して、父さんと私がつながって、この演奏はまた一段と私にとって大切なものになった。
Figlio dormi [音楽]
Giovanni Girolamo Kapsperger (Johann Hieronymus Kapsberger)
| 1 Figlio dormi dormi figlio China’l ciglio Caro figlio Ricciutello della mãma Del mio petto dolce fiamma Mio bambino piccinino Fà la nanna fà la ninna figlio Ninna la nanna ninna nanna Amoroso mio tesoro Ninna la nanna ninna nanna Dolce e vago ricciutello Vezzosetto vago e bello. | 1 眠れぼうや ぼうや眠れ まつげを伏せて かわいいぼうや 母さんの巻き毛ちゃん わが胸の甘い炎よ 私のちっちゃな赤ちゃん ねんねしな ねんねしな ぼうや ねんねんころりんねんころりん 愛しい私の宝物 ねんねんころりんねんころりん 愛しいみやびな巻き毛ちゃん みやびなきれいなかわいこちゃん |
| 2 Chiama’l sonno frena il pianto Nel mio canto Dolce figlio Lagrimuccie deh cessate E nel sonno vi frenate. Mio bambino piccinino Fà la nanna fà la ninna figlio Ninna la nanna ninna nanna Lagrimuccie perle elette Ninna la nanna ninna nanna Su le guancie alabastrine Margarite peregrine. | 2 眠りよおいで 涙よおさまれ 私の歌で 愛しいぼうや 涙ちゃん どうかとまって 眠りの中でおさまって 私のちっちゃな赤ちゃん ねんねしな ねんねしな ぼうや ねんねんころりんねんころりん 選り抜きの真珠の涙ちゃん ねんねんころりんねんころりん アラバスターのほっぺの上の とびきりの真珠よ |
| 3 Luci vaghe luci belle Vive stelle Del mio figlio Non più crude al sonno omài Serenate i vostri rai Mio bambino piccinino Fà la nanna fà la ninna figlio Ninna la nanna ninna nanna Pupilluccie lusinghiere Ninna la nanna ninna nanna Pupilluccie ritrosette Ritrosuccie pupillette. | 3 みやびな眼(光)よ きれいな眼(光)よ 輝く星よ 私のぼうやの もう眠りに抵抗するのはやめて 静まって 君のまなざし(光線)よ 私のちっちゃな赤ちゃん ねんねしな ねんねしな ぼうや ねんねんころりんねんころりん ごきげんのひとみちゃん ねんねんころりんねんころりん かたくななひとみちゃん 大切ながんこちゃん |
| 4 Sguardi amati dolci sguardi Vivi dardi Del mio figlio Voi col pianto mi piagate E nel sonno mi beate Mio bambino piccinino Fà la nanna fà la ninna figlio Ninna la nanna ninna nanna Tirannucci miei bramati Ninna la nanna ninna nanna Deh chiudetevi innocenti Tirannucci miei cocenti. | 4 愛するまなざしよ 愛しいまなざしよ き生きとしたまなざし(矢)よ 私のぼうやの 君たちは涙で私を傷つけ 眠りの中で私を喜ばせるの 私のちっちゃな赤ちゃん ねんねしな ねんねしな ぼうや ねんねんころりんねんころりん 私のほしがりの暴君ちゃん ねんねんころりんねんころりん ああ 閉じてちょうだい いい子 私の焼けつくような暴君ちゃん |
| 5 Ecco il sonno che l’assale. Spiega l’ale Su’l mio figlio Dolce sonno à te si spetta Tu lo stringi tu l’alletta Mio bambino piccinino Fà la nanna fà la ninna figlio Ninna la nanna ninna nanna Lusingatelo ò miei canti Ninna la nanna ninna nanna Mio dolcissimo ristoro Mio ricchissimo tesoro. | 5 さあ ぼうやを襲う眠りだよ 翼を広げて 私のぼうやの上に 甘い眠りよ お前を待っているの 彼を絡めとって 彼を誘って 私のちっちゃな赤ちゃん ねんねしな ねんねしな ぼうや ねんねんころりんねんころりん 彼を喜ばせて ああ私の歌よ ねんねんころりんねんころりん 私のもっとも甘い安らぎよ 私のもっとも価値のある宝物よ |
育児をして思うことつらつら [雑感]
げんこつやまのたぬきさんのうたは、おっぱいとねんねの間に大事なことが抜け落ちている。
授乳中にテレビ見るな、携帯いじるな、こどもを見ながら話かけろって、正論だろうけど、実際に授乳したことのない人の理想論じゃないだろうか。おいしいねえ、そうなの?って何回繰り返したって三分もやってりゃこっちがおかしくなるし、赤子相手に一方通行の大人の会話をするのも私には無理。一日平均6、7時間は授乳に費やされるんだし、その時間に同時に片付けられることをして何が悪い。
スタイというのはよだれかけのことです。
アフガンというのはおくるみのことです。
クーハンというのは赤ん坊をいれとくかごのことです。
病院でのこどもの呼び名は母親の名前+ベビー。父親はパパで母親はママ。
前からある単語のほうが優しくてわかりやすいのに、いちいちめんどくさい。
赤ちゃん用、ベビー用という言葉の付加価値の高さ。みんなつけ込まれすぎじゃないか?
カタログを集めてベビーカーやチャイルドシートを検討。コンビとかアップリカとか、日本のメーカーなのになぜモデルが白人ばかり?あまりにひどくて購買意欲が削がれる。
そこで巷で人気のマクラーレン。ヨーロッパのブランドだし、モデルがヨーロッパ人ぽいのは自然に思えるが、今度は文章がいけなかった。絶対買わん。
カタログを見ると、どうも商品や会社の評価が下がるので、一番欲しいエアバギーはカタログをみないことにしておく。
似非かもしれんがエコかも知れないので日中は布おむつ。それ自体は苦じゃないが、布おむつを勧めるサイトや売る店が得てして似非科学に汚染されていてげんなりする。竹繊維からはマイナスイオンが出るらしいし、重曹は安全だけど漂白剤は危険らしい。
授乳中にテレビ見るな、携帯いじるな、こどもを見ながら話かけろって、正論だろうけど、実際に授乳したことのない人の理想論じゃないだろうか。おいしいねえ、そうなの?って何回繰り返したって三分もやってりゃこっちがおかしくなるし、赤子相手に一方通行の大人の会話をするのも私には無理。一日平均6、7時間は授乳に費やされるんだし、その時間に同時に片付けられることをして何が悪い。
スタイというのはよだれかけのことです。
アフガンというのはおくるみのことです。
クーハンというのは赤ん坊をいれとくかごのことです。
病院でのこどもの呼び名は母親の名前+ベビー。父親はパパで母親はママ。
前からある単語のほうが優しくてわかりやすいのに、いちいちめんどくさい。
赤ちゃん用、ベビー用という言葉の付加価値の高さ。みんなつけ込まれすぎじゃないか?
カタログを集めてベビーカーやチャイルドシートを検討。コンビとかアップリカとか、日本のメーカーなのになぜモデルが白人ばかり?あまりにひどくて購買意欲が削がれる。
そこで巷で人気のマクラーレン。ヨーロッパのブランドだし、モデルがヨーロッパ人ぽいのは自然に思えるが、今度は文章がいけなかった。絶対買わん。
カタログを見ると、どうも商品や会社の評価が下がるので、一番欲しいエアバギーはカタログをみないことにしておく。
似非かもしれんがエコかも知れないので日中は布おむつ。それ自体は苦じゃないが、布おむつを勧めるサイトや売る店が得てして似非科学に汚染されていてげんなりする。竹繊維からはマイナスイオンが出るらしいし、重曹は安全だけど漂白剤は危険らしい。
近日所感 [雑感]
エルガーの「愛の挨拶」を歌おうとして、中間部がどうしても「好きですかわさき愛の街」になってしまい、自分もすっかり川崎市民になったと実感する今日この頃。
勤労感謝の日でも欠かさずゴミを収集してくれるのはありがたいことだ。改めて感謝。
もともと引きこもり気味で、3日間くらい家から一歩もでないこともあったが、さすがにここまで長いこと籠っていたのは初めてだと思う。家事も二人の母親さんがやってきて手伝ってくれるし、アイボウもほんとうによくがんばってくれるし、こどももよく寝る子で、うまくおなかいっぱい飲ませれば3、4時間続けて寝てくれたりもするので、ほとんど何もせずにごろごろしていたら、私にはかなり珍しくしつこい便秘になった。
それから、体ならしに、まずはアイボウと、その次は一人で近所のスーパーまで行ってみた。入院期間も含めれば3週間近く室内にいた間に外はすっかり紅葉が進み、晩秋の空気。アイボウと一緒の時は「とりあえず外に出た」ということで頭もいっぱいだったが、2回目には余裕も戻り、帰り道で突然、「ああ、もう妊婦じゃないんだ」という実感がこみあげてきた。そう考えてみると、横断歩道を渡る体も軽く、かつての歩行速度に戻りつつあるような。こうやって歩いていれば、誰も私が母親になったとは気づかないだろう。少し前までは、大きな腹を抱えて、誰の目にも母になろうとしていることは明らかだったのに(まあ、電車の中などでは気づかないか、気づかないことにしてらっしゃる方もかなりいたみたいだけど)。でも私が帰る先には、アイボウだけじゃなくてちっちゃなかわいいチビも待っている。ふしぎふしぎ。
日曜日にはアイボウのお母さんに一日こどもを預かってもらって友人の結婚式に出席し、だんだんと外界との交流が復活しつつある。早くこどもを連れて出歩きたいものだ。一ヶ月健診まではなどと言うが、律儀に守るべきものだろうか、いやいや、その油断が我が子を危険にさらすのではないか、などと自問中。
「特別」思想 [雑感]
日本に戻ってから朝日新聞の定期購読を再開した。なんだかんだと文句をいいながら、毎日けっこうじっくり読んでいるのだが、投書欄に載る投稿が60代以上と20代以下のものに偏っているのが、現代日本社会の一つの問題を反映していて、興味深くもあり、また憂鬱でもある。
そういった投書やらコラムの少なくないものに違和感を覚えるのは当然ではあるが、時々、未だに「日本語は世界有数の語彙が豊かな言語」(意)とか、「日本の素晴らしさ」みたいなことを言っているものをみると、なんでそんな発想になってしまうのか、なぜそんなものを掲載するのか理解に苦しむとともに、反駁したい衝動にかられる。
「これは特別なことだ」といった思い込みは、さまざまな形で表出される。
今朝の「声」欄には、「最近(日本の)列車内のマナーの苦情の投書が多いが、去年ドイツ旅行したときの列車内には声高に話す人や、まして宴会をする人なんていなかった。公共の場でのマナーが身に付いていてすばらしかった」といった意見が掲載されていたので、「それは単に滞在期間が短く、運がよかっただけよ」と大きな声で教えてあげたくなった。
私のドイツ滞在経験も微々たるものではあるが、ドイツ在住の人々の公共の場でのマナーが日本在住の人々に比べてよいとは絶対に言えない。
電車の中に限っても、ソーセージやチーズを出してきての計画的な宴会も、携帯使用自粛の車両(ドイツでは使用OKと使用自粛の車両が分かれている場合が多い)で大声で携帯に向かってしゃべっている人も見かけた。人の指定席にどっかりと座ったまま、言葉が通じない振りをしてどかない人もいれば、無理矢理に自転車をのせてくる人もいるし、昼間っから酒瓶片手に大きな音楽をかけて騒ぐ若者もいる。
加えて、ダイヤは守られないし、車両整備は行き届いていないし、落書きはひどいし、どちらがよいかと言えば、日本の列車の方がましだと思う人は私だけではないだろう。
同じ「声」欄には、スウェーデン在住の人からの「スウェーデンを理想郷扱いしないでほしい」という投書が載っていたが、本当にそのとおりなのだろう。
よそのことを全然知らないよりは少しでも知った方がよいはずだが、少し知ってわかったつもりになるのは全然知らないよりも危険なのかもしれない。
自分が「特別だ」と思ったことがらが本当に特別なのかは慎重に判断しなければならない。
ついでに、NHKの「すてきなにっぽん!」というのと、天声人語のレベルの低さもどうにかしてほしい。
神奈川の選択 [雑感]
昨年の九月に東京に戻ってきて、神奈川県の隅っこに住むようになったので、先日の選挙では神奈川県代表を選ぶために票を投じてきた。
自分の信条から投票先はすんなり決まっていたのだが、昨晩の夢にその落選してしまった候補者が出てきて、自覚していた以上に落胆していたことに気付いた。
正直、神奈川県代表に選出された3人は一人として支持できない。
現在、多くの地域を覆っている閉塞感の主要因の一つである組織の中核でさんざん金儲けをしてきた新自由主義者。
その二人を足して二で割って薄めたような世襲政治家。
そういった人間を選択する住民が一定数いることは理解できるが、そういった人ばかりが選ばれたと思うと、改めて未来に対する不安、絶望は重くなるばかりだ。
その中で自己保身を第一に生き抜く道を探すべきなのか、自分の理想が少しでも実現されるようにもう少し積極的に社会に関わっていくべきなのか。いずれにせよ、なにか行動をしなければならない時期にさしかかっているのかもしれない。
ゆっくりぽっかり [雑感]
余裕のある引っ越しというのは感じたり考えたりする時間が多くて、だからといって余った時間を猛烈になにかしてまぎらわすという気にもなれなくて、ただ、寂しさと緊張と不安とが胃を締め付けて、あまり楽しくない。
今回も自費で引っ越しする。東京からソウル、ソウルからマインツには各国の郵便制度を利用して荷物を送ったのだが、ドイツではDHLに船便がなく、重量制限ぎりぎりの30キロの箱が最低114ユーロかかる。ソウルからマインツには20キロの箱を20箱以上送っている(韓国便は20キロが上限)から、これを30キロずつに詰め替えるとしても、やっぱり20箱近くなると予想され、引っ越し費用がかさむなあと前々から困っていたのだが、ためしに日通に問い合わせてみたら、20箱で1100ユーロという船便のプランがあるというので、すぐに飛びついてお願いすることにした。梱包材もくれるというし(すでに段ボールは購入してあったので大量に余ってしまったが)、家まで取りにきてくれるし、東京での住処が決まっていない状態でも送れるようなのでそれも今回はぴったりだった。
それはよかったのだが、荷物引き受け日の一週間半くらい前になって、引き受け日の4日前までに梱包を終了して内容明細をファックスしてくださいといってきた。そんなわけで先週末はひっちゃかめっちゃかになりながら箱詰めをして(加えて大家さんが家の写真をもう一度撮りたいなどと言い出したから、引っ越し作業の中間にいったん片付け、掃除のおまけつき)、今週に入ってからも一日数箱詰めるペースで作業をして、昨日、むりやりながら目処をつけて内容明細を送信した。
でも、まだ数日、アイボウは数週間、ここでの生活が残っている。
それで、なんだか朝起きて、二人して「ぐるーみー」といっているのであった。コーヒーを入れてもぐるーみー、パンを切ってもぐるーみー。
やっぱり引っ越しは考える暇もない中で怒濤のごとくやるのが性に合っているみたいだ。
2008年イタリア18日間の旅(16) [イタリア旅行記]
2008年イタリア18日間の旅(15) [イタリア旅行記]
10日目。この朝も爽やかに晴れ渡った。朝はやっぱり長袖が必要。
朝食の食堂は夕食とは別で、中央棟の2階の日差しがたっぷりと降り注ぐ空間。ガラスで囲ったサンルームもあって、古びた大きなテーブルやベンチがならべてある。農園だけあって、イタリアとしてはかなり豪華なビュッフェ。観光地のホテルとは雰囲気も全然違う。今日は一日読書と決めた風情で本を片手にのんびり朝食をとっている客や、小さな子供を連れてリラックスした休暇を過ごしている客も目立つ。
しかし、我々は観光大好きなので、朝食の後はすぐに車に乗り込んでヴォルテッラの街へ向かう。
ヴォルテッラはごつごつと岩の目立つ地の高台にある、エトルリア時代からアラバスターの産地として栄えた古い街。町をぐるりと取り囲む中世の城壁にそって点在する駐車場の一つに車を止めて、城壁の下を抜ける裏口のようなトンネルを通って街に入っていく。
朝もまだ早く、街のはじっこからスタートしたので、人もあまりいなかった。そこから中心に向かって坂を下っていく。起伏がある上に、城壁の中は道も建物も黄褐色で、独特の雰囲気がある。建物の陰になる部分が多く、肌寒い。
少し歩くと、すぐに市庁舎のある街の中心、Piazza dei Priori に出た。
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